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Trademark Appeal Case

歴史的人名と付加語の類否

本データベースは、特許庁の審決例をAIで解析・要約したものです。拒絶理由通知に対する意見書作成や、審判請求書等の作成時の参考としてお役立てください。

基本情報

審判番号無効2007−890117(T2007−890117/J3)
審判種別無効
結論敗訴(請求棄却)

結論テキスト

登録第4999039号の指定商品中「第33類 泡盛」についての登録を無効とする。
その余の指定商品についての審判請求は成り立たない。
審判費用は、その2分の1を請求人の負担とし、2分の1を被請求人の負担とする。

理由テキスト

第1 本件商標

本件登録第4999039号商標(以下「本件商標」という。)は、「舜天」 の漢字と「シュンテン」の片仮名文字とを上下二段に書してなり、平成18年3月10日に登録出願、第33類「日本酒、洋酒、果実酒、中国酒、薬味酒」を指定商品として、同年10月5日に登録査定がなされ、同年10月27日に設定登録されたものである。

第2 引用商標

請求人が引用する登録第2453517号商標(以下「引用商標」という。)は、「舜天王」の文字を縦書きしてなり、平成2年4月3日に登録出願、第28類「酒類(薬用酒を除く)」を指定商品として、同4年9月30日に設定登録、その後、同14年8月27日に商標権存続期間の更新登録がされ、さらに、指定商品については、同年10月9日に第33類「日本酒、洋酒、果実酒、中国酒、薬味酒」に書換登録され、現に有効に存続しているものである。

第3 請求人の主張

請求人は、本件商標の登録を無効とする、審判費用は被請求人の負担とする、と申し立て、その理由及び答弁に対する弁駁を要旨次のように述べ、証拠方法として、甲第1号証ないし甲第10号証(枝番を含む。)を提出した。

1 請求の理由

(1)本件商標は、引用商標と観念を同じくする商標であって、商標法第4条第1項第11号に該当するものであり、その登録は無効とされるべきものである。

(2)1879年(明治12年)に沖縄県が発足するまでは、沖縄は、琉球王国として一国をなしていた。琉球王国が確立された時期については、歴史家の間で異なる見解もあるが、12世紀に「舜天」 が開祖となった「舜天王統」に始まるとする見解が通説のようである。「舜天」は、1166年に、難を逃れて沖縄本島の北部の運天港に上陸した源為朝と大里按司の妹との間に生まれたという伝説の主で、1180年に衆望を集めて浦添按司となり、1187年に、それまで存していた天孫王統の王をないがしろにして実権をほしいままにしていた利勇(りゆう)なる人物を倒した後、推されて新しい王統を開き在位51年を数えたと、近世期の「首里王府正史」は伝えている。

(3)琉球王国の起源を「舜天王統」と見るか、1429年にできた統一王朝「第一尚氏王統」と見るかについては見解の分かれるところであるが、「舜天」は舜天王統の開祖として史書に現れる人物であり、特に源為朝の子であるという突拍子もない伝説の存することから、沖縄県では知らない者が無いほど著名な歴史上の人物と言える。

本件商標は、この「舜天」の漢字と「シュンテン」の片仮名文字を上下二段に併書したものであり、引用商標は「舜天王」の漢字を縦書きして成るものである。「王」は君主の意を表す語であるから、舜天王統の開祖である「舜天」と「舜天王」とは観念において全く異なるところは無い。特に沖縄県で「舜天」と言えば100% 「舜天王」を指称し、これ以外の観念は生じないので、本件商標と引用商標とは互いに類似する商標というべきである。

2 答弁に対する弁駁

(1)審査基準にいう「商標の類否判断は、商標の有する外観・称呼・観念のそれぞれの要素を総合的に判断しなければならない。」とは、一般に、外観・称呼・観念の一つにおいて類似するときには互いに類似すると見るのが原則ではあるが、この三要素のうちの一つ、例えば観念において類似するところがあっても、外観或いは称呼において大きく相違する場合には、観念の点だけから見て類似との結論を出すのではなく、外観・称呼をも含めて総合的に判断しなければならないという趣旨である。

本件審判請求事件においても、当然、この観点から類否判断がなさるべきである。しかしながら、本件商標が引用商標と外観及び称呼において相違するところのあることは争うものではないが、その相違を考慮し、かつ取引の実情その他を加味して総合的に考察しても、観念における同一性は決定的であるので、両者を非類似とすることはできない。

(2)被請求人が答弁書において両者を観念上、非類似と主張する根拠は、専ら、乙第1ないし3号証の判決及び審決に記載されているところに拠っているが、この3件の判審決は、いずれも旧第28類「酒類」を指定商品とする「御柱」と「御柱祭」又は「真澄/御柱祭」との類否が争われたケースであり、被請求人は、上記事件において「御柱」+「祭」という図式のものが「御柱」とは非類似とされているのであるから、本件においても同様に「舜天」+「王」も「舜天」とは非類似と見るべきと主張するもののようである。しかしながら、「御柱」に「祭」が付加されて成る「御柱祭」は、「舜天」に「王」が付加されて成る「舜天王」の場合とは、事案を全く異にするのである。

著名な祭りとしてわが国で広く知られている「被園祭」「時代祭」「三社祭」「神田祭」「裸祭」というような祭りを表す言葉から「祭」の語を除くと、それぞれ「紙園」「時代」「三社」「神田」「裸」となり、これらの語がそれぞれの祭りとは観念上類似しないものとなることについては、何人にとっても恐らく争いの無いところであろう。「御柱祭」の語から「祭」を除いた「御柱」の語についても同様で、審決では、このような観点から「御柱祭」と「御柱」とは互いに類似しないとされたものである。

これに対し「舜天」の語は、既に甲第3号証ないし甲第7号証で明らかなように、「舜天」=「舜天王」であり全く同義であって、「舜天」にはこれ以外に意味するところは無い。

(3)被請求人は、「ある商標からどのような観念が生じるかは、その指定商品の需要者・取引者らが、商標の構成に基づきどのように観念すると認められるかによって決せられるものであって、必ずしも商標の文字等について著書や辞典類に示されたとおりの語義が商標の観念となるものではない。」との東京高裁の判決を掲げ(この判決も、当職が乙第2・3号証の事件で主張として採り上げたもので、判示に賛成。)、商標の類否は、取引の場で取引者・需要者が混同誤認を来たすかどうかの観点からなされるべきであるという。この主張は一般的に、正にそのとおりである。

本件商標の指定商品には「泡盛」が含まれているが、被請求人は沖縄県内で泡盛の卸売業を営む者である。泡盛は、独特の製法と歴史を持つ酒で、特に琉球王府では、首里三箇と呼ばれる崎山・赤田・鳥堀の三村の住人で古くから泡盛を造り続けてきた人々を限定して焼酎職とし、泡盛を造らせていたほどで、万一、製造に失敗したりすると、軽度の場合では蒸留装置の没収、重い場合は家財没収の上、島流しにされたと伝えられている。このように、泡盛は琉球王府とは極めて関わりの深いものである。

これまで述べて来たように、また、書証として提出した文献の存在を考慮すれば、沖縄県内で通常の知識を備えた成人であれば、「舜天」について知らない者は無いと考えるが、少なくとも未成年者を除き、泡盛の取引者・需要者の間で「舜天」の意を解さない者は、恐らくいないのではないかと考える。このような状況の下で「舜天王」の他に「舜天」の商標を付した泡盛が販売されたならば、出所の混同が生じるであろうことは、明らかである。

なお、被請求人は、甲第3号証ないし甲第7号証について、これらが一般性の無い刊行物であるかのような主張をしているので、「広辞苑」その他の文献を追加提出することとした。

3 結論

本件商標の登録は、商標法第4条第1項第11号に違反してされたものであるから、商標法第46条第1項第1号により無効にすべきものである。

第4 被請求人の答弁

被請求人は、本件審判請求は成り立たない、審判費用は請求人の負担とする、との審決を求めると答弁し、その理由を要旨次のように述べ、証拠方法として、乙第1号証ないし乙第3号証を提出した。

答弁の理由

1 本件商標と引用商標とは非類似である

「商標の類否の判断は、商標の有する外観、称呼及び観念のぞれぞれの判断要素を総合的に考察しなければならない」(商標法第4条第1項第11号の審査基準)とされているところ、以下において、外観、称呼及び観念について、本件商標と引用商標の類否を検討する。

(1)観念について

まず、商標の観念とは、商標がこれを見る取引者・需要者に直感的に与える知覚内容を指すものであるから、この点から見るべきものであり、ある商標からどのような観念が生じるかは、その指定商品の需要者・取引者らが、商標の構成に基づきどのように観念すると認められるかによって決せられるものであって、必ずしも商標の文字等について著書や辞典類に示されたとおりの語義が商標の観念となるものではない(東京高裁・昭和37年(行ナ)第190号、昭和36年6月16日判決)。すなわち、2つの商標の類否判断は、それが商標である以上、机上のものでは足りずに、あくまで取引の場におけるものでなくてはならず、取引の場において、取引者・需要者が混同誤認を来たすかどうかの観点においてなされるべきであって、取引者・需要者の目に触れることが無いか極めて少ない印刷物にたまたま記載があることを根拠になされるべきではないことは、当然である。

ここで、請求人が提出している甲第3号証及び甲第5号証については、いずれも沖縄地域において発行頒布されたようであるが、少なくとも沖縄地域以外の者の目には触れ難いものであり、こうした印刷物が存在することが事実であったとしても、そこに記載されている内容について、わが国の多くの者に知られているものではないことは当然である。

なお、仮に一部の地域(例えば沖縄県)において「舜天」と「舜天王」が観念において同一であるという事実が存在したとしても、日本国中の商品「日本酒、洋酒、果実酒、中国酒、薬味酒」の取引者・需要者が、「舜天」と「舜天王」が観念同一であると認識するということは考え難く、一部の地域(例えば沖縄県)で類似の商標と理解されることがあり得るとしても、それだけでは、商標法第4条第1項第11号にいう「他人の登録商標又はこれに類似する商標」と認めることはできない(平成9年(行ケ)第270号判決参照)。

商標から生じる観念は、一般人が一見して直ちに一定の意義を理解させるものでなくてはならず、しばらく考えなければ関係が分からないような語や、歴史書を調べて初めて同一の意義であることが分かるような語は、一見して直ちに対比される商標と同一又は類似の意味を有するものであることが理解できるとは言えないから、観念が同一であるとは言えない。なお、歴史書において同一の意味を有するものであることが明らかな場合であっても、その商品の取引者・需要者がその意味を直感することがない場合には同様である。

さらに、商標法第4条第1項第11号該当を理由とする商標登録無効審判請求においては、その事由の存否の判断の基準時は登録査定時であると解すべきであることから(東京高裁・昭和63年(行ケ)第288号)、本件商標と引用商標との類否判断は、本件商標の登録査定時である平成18年10月10日を基準としてなされるべきである。

ここで、請求人が提出している甲第3号証及び甲第4号証は、1978年発行(登録査定時より28年前に発行)のものであり、甲第5号証は、1999年発行(登録査定時よりも7年前に発行)のものであり、甲第6号証は、1974年発行(登録査定時よりも32年前に発行)のものであり、甲第7号証は、1977年発行(登録査定時よりも29年前に発行)のものであるところ、甲第5号証を除いては、登録査定時である平成18年から四半世紀以上も前に発行された印刷物である。常識的に考えると、過去に発行頒布された印刷物に記載がなされていた事実が現に存在したとしても、極めて多くの情報が飛び交い、様々な情報が溢れている現代社会において、四半世紀以上も前に発行された印刷物に記載されたという事実のみで、平成18年においてもなお取引者・需要者にその事実が知られているということは、経験則上考えられるものではない。

以上のとおり、ここ最近(と言っても、登録査定時よりも7年も前ではあるが)発行されたものは甲第5号証のみであり、この甲第5号証は、沖縄地域において発行頒布されたようであり、請求人が提出したいずれの書証においても、登録査定時である平成18年の段階において、一般の需要者・取引者をして「舜天」と「舜天王」が観念において同一であるという事実は確認できない。

なお、請求人は『沖縄県で「舜天」と言えば100%「舜天王」を指標し、』と述べているが、そもそも認知度や知名度が100%ということ自体が甚だ疑間であり、一般人の常識では考え難いものである。参考までに例示するが、CNETJapanとYahooリサーチが共同で行なった日本のIT企業経営者の中で最も知名度が高かったソフトバンク代表取締役社長の孫正義氏であっても知名度は64.7%である(http://japan.cnet.com/column/trend/story/0,2000055931,20073823,00.htm参照。)。マスコミ等の露出が極めて多いと考えられる孫正義氏をしてもその知名度は64.7%であることに鑑みると、仮に沖縄県に限定したとしても、「舜天」と「舜天王」が同一であると100%認識するということは常識的には考えられない。

(2)称呼について

まず、商標からどのような称呼が生じるかは、その商標を付した商品の取引分野における一般的な取引者・需要者が、商標から生じる自然的称呼をどのようなものとして認識するかによって決定されるものであって、商標を構成する文字や図形等について、それが歴史的、地理的等の何らかの分野において格別の意味を有するものであったとしても、それらの由来を理解している者がどう認識するかによって決定されるというものではなく、指定商品の一般的な取引者・需要者によって現実にいかに認識され、いかに称呼されるかによって類否判断がなされるべきである(東京高裁・昭和 33年(行ナ)第74号)。

ここで、本件商標は、「舜天」の漢字を上段に、「シュンテン」の片仮名文字を下段に、上下二段に併記して構成されており、「シュンテン」なる称呼を生じるものである。

一方、引用商標は「舜天王」の漢字を縦書きして構成されたものであり、「舜天」の文字部分のみが独立して認識されるものとは言えず、構成全体をもって、まとまり良く一体不可分のものとして理解され、しかも、これにより生じる称呼も格段冗長といえるものではなく、よどみなく一連に称呼し得る。したがって、引用商標はその構成全体をもって一体不可分のものとして把握されるものとみるのが自然であり、「シュンテンオウ」若しくは「シュンテンノウ」なる称呼を生じるものである。

このように、本件商標からは「シュンテン」なる称呼のみを生じ、引用商標からは「シュンテンオウ」若しくは「シュンテンノウ」なる称呼のみを生じるものであることから、音数その他において両者の称呼は異なっている。

なお、「酒類の取引に当たっては、他の商品に比べるとラベル等に表示されている文字を一連に読み込んで識別している場合が多い」旨判断した審決がある(昭和59年審判第21449号、平成5年審判第22355号)。

(3)外観について

本件商標は、「舜天」の漢字を上段に、「シュンテン」の片仮名文字を下段に、上下二段に併記して構成されており、引用商標は、「舜天王」なる漢字を縦書きして構成されたものであり、両者は、外観上は明らかに異なっている。

(4)まとめ

以上のとおり、本件商標と引用商標とは、外観、称呼及び観念のいずれにおいても類似しておらず、本件商標と引用商標とは非類似と判断するのが妥当である。

2 結論

したがって、本件無効審判請求は成り立たず、本件商標は無効とされるべきものではない。

第5 当審の証拠調べ通知書及び被請求人の意見

1 当審において、平成20年1月7日付けで、請求人及び被請求人に対し、「下記証拠及び請求人が提出した甲第3号証ないし甲第10号証 によれば、「舜天」(舜天王)は、琉球王国の最初の国王であることが取引者、需要者に知られている事実が認められる。」旨の証拠調べ通知書を発し、意見を求めた。

(1)1998年6月8日付け琉球新報朝刊12頁に「文化財さんぽ/首里城跡/伝説では「天孫氏築く」/沖縄戦で焼失/1992年に一部開園」と題する記事に「首里城は伝説によると、琉球を築いた天孫(てんそん)氏によって開かれ、舜天(しゅんてん)王代(一一八七〜一二三七年)に規模を拡張したというが、起源についてはよく分かっていない。」の記載がある。

(2)1998年7月24日付け琉球新報朝刊22頁に「新うちなー歴史探訪 舞台、人むぬがたい□□175/為朝岩/浦添/地域の安泰・繁栄願う聖地/弓の名人伝説も」の見出しのもと、「この巨岩は、浦添城跡からわずか十メートルほどの距離にあり、・・・「為朝岩」のたもとには小さな拝所があり、灯ろうが置かれ、石積みの囲いの中に骨を納めて香炉を安置している。これが舜天王を祭ったものという説もある。」の記載がある。

(3)1998年11月10日付け産経新聞 東京朝刊7頁に「【はじめて書かれる地球日本史】(302)南の国境画定(2)」の見出しのもと、「日本との関係では保元の乱で敗北し、伊豆の大島に流された源為朝が琉球に渡り、その子が初代の舜天王だとする説が袋中上人の「琉球神道記」や「中山世鑑」に出ている。」の記載がある。

(4)2000年2月28日付け琉球新報朝刊に「世界遺産登録でよみがえる グスク 古琉球の光と影/12/玉城城跡/王統変遷の運命を乗せて」の見出しのもと、「玉城(グスク)は、古王統とのつながりも深い。舜天(しゅんてん)統最後の義本(ぎほん)王は、『王位』を英祖(えいそ)に譲って玉城に下った伝説がある。玉城(グスク)が同王統とのつながりの深かったことを暗示する。」の記載がある。

(5)2000年3月13日付け琉球新報朝刊18頁に「世界遺産登録でよみがえる グスク 古琉球の光と影/14/もう一つの南山伝説秘め」の見出しのもと、「グスクを開いたのは、アマミキョの後裔、天孫子(てんそんし)族だと伝えられ、近くの森には天孫子墓というのもある。さらに舜天王を祀った御嶽とか、舜天王の母の墓などもある。舜天王の母というのは、例の源為朝の来琉伝説で、為朝の沖縄妻となった『大里按司の妹』のこと。為朝来琉の真偽は別として、為朝が沖縄を去った後は、兄の大里按司のもとに身を寄せたのだといい、そのために墓は『御妹墓(うみないばか)』と呼ばれているのである。・・・舜天がからんでいるとすれば、十二世紀後期から十三世紀初期にはすでに築かれていたことになるが、確かにこれを裏付けるような土器なども出てきた。」の記載がある。

(6)2000年4月2日付け琉球新報朝刊 27頁に「浦添市/英文や「ご意見箱」も設置/ホームページ開設」の見出しのもと、「浦添市は一日、インターネットーホームページを開設した。この日、施行される情報公開条例に合わせた運用。市では「情報発信の拠点とし、市民、浦添市に関心のある団体・個人の情報交流の機会にしたい」としている。・・・「太陽の王国・浦添」では、舜天王、英祖王、察度王、尚寧王と浦添市との歴史的なかかわりを載せたほか、「2003年オープン国立組踊劇場」「浦添市役所」「暮らしの情報」「URASOE ON−LINE」を網羅した。

(7)2000年4月24日付け琉球新報朝刊24頁に「グスク古琉球の光と影/19/首里城跡/甦った「琉球王国」のかなめ」の見出しのもと、「確かに、首里城跡からは、かなり古い時代の遺物が見つかっている。・・・南宋末から元代にかけては、琉球では舜天(しゅんてん)(王)の活躍が見られるが、それ以前の遺物の出土は、この首里城が古来、「天孫氏族」代々の居城だったという説の、裏付けとはなるかもしれない。」の記載がある。

(8)2000年5月1日付け琉球新報朝刊11頁に「世界遺産登録でよみがえる/グスク古琉球の光と影/〈20〉/ナゾ多い起源と ゙遷都 ゙/首里城跡/(2)」の見出しのもと、「伝説では源為朝の子という、浦添按司尊敦(そんとん)(後の舜天(しゅんてん))が義兵を起こし、四方の按司たちもこれに呼応して利勇を攻めた。利勇は力尽き、妻子を殺して自決した。国人に推されて、尊敦は「大位」(王)に就いた。−と、『中山世鑑』『球陽』は記す。・・・即位は淳煕十四年(一一八七)、尊敦二十二歳。名を舜天と改め、ここに「舜天王統」が開かれるのである ・・・そして舜天もこの「中山城」に入ったのだが、城の規模が狭かったため、これを広げ、「壮観頗(すこぶ)る新た」にしたという。」の記載がある。

(9)2000年5月15日付け琉球新報朝刊22頁に「グスク古琉球の光と影/22/首里城跡(4)/王位奪取にうず巻く陰謀」の見出しのもと、「中山(ちゅうざん)王権は周知のように、(天孫氏(てんそんし))−舜天(しゅんてん)王統(三代七十二年)−英祖(えいそ)王統(五代九十年)−察度(さっど)王統(二代五十六年)−第一尚王統(六代六十四年)−第二尚王統(十九代四百九年)と推移した」「舜天王は天孫氏政権を奪った利勇(りゆう)を滅ぼして即位したし、舜天三代義本(ぎほん)王の「摂政」であった英祖は、義本王が自らの不徳を悟って退位したことにより即位した」「『天孫氏』25世の滅亡と、舜天の利勇討伐(1187年)」の記載がある。

(10)2000年5月22日付け琉球新報朝刊13頁に「グスク・古琉球の光と影/23/首里城跡(5)/「舟楫を以て万国の津梁」に」の見出しのもと、「琉球はあずかり知らぬ話だが、薩摩としては鎌倉時代、一二二七年(舜天王代)島津忠時が将軍(藤原頼経)から「南海十二島」の地頭(じとう)職に任じられて以来、琉球は薩摩の支配下にあるとの認識を持っていたのだ。」の記載がある。

(11)2006年6月5日付け琉球新報朝刊16頁に「世界遺産登録でよみがえる グスク 古琉球の光と影/25/浦添城跡/中/ ゙天下 ゙見下ろす高麗瓦の王殿」の見出しのもと、「高王朝は十世紀はじめに成立し、一三九二年(琉球は察度王四十三年)に滅びた。この間に「癸酉年」は四回ある。「天孫氏」代の一一五三年、舜天王代の一二一三年、英祖王代の一二七三年、英祖王統四代・玉城王代の一三三三年だが、高が滅びた翌年、察度王代の一三九三年も癸酉年で、「高瓦」系のブランド製作は継続されていたと見て、これも含んでよいだろう。」の記載がある。

(12)2000年6月12日付け琉球新報朝刊13頁に「グスク古琉球の光と影/26/貿易で琉球の展望開く/浦添城跡/下」の見出しのもと、「舜天「王統」は三代続いた後、英祖にとって代わられるが、英祖は舜天五代義本の「摂政」だったという。」の記載がある。

(13)2000年7月24日付け熊本日日新聞朝刊に「新生面=沖縄サミット閉幕、総費用800億円 NGOは途上国問題で注文、米軍基地では連帯も」の見出しのもと「遠く離れた沖縄にも為朝伝説が残っている▼大島から今の名護の近くに渡来した為朝は、南部の領主の妹との間に一子をもうけた。やがて成長したこの男児が琉球の天下人になり、「舜天王」と名乗って首里に都を置いたという▼それから八百余年。主要各国の“現代の天下人”たちが名護市に集まり、世界の平和などについて話し合った。」の記載がある。

(14)2000年8月21日付け琉球新報朝刊9頁に「世界遺産登録でよみがえる グスク 古琉球の光と影/34/伊是名城跡」の見出しのもと、「屋蔵大主が英祖王系に連なる南山按司の子孫だといい、金丸(尚円王)にしてもその祖は舜天王統最後の義本王であるとか、中城仲順(ちゅんじゅん)の人であるとか、つまり流れてきた一族だったとも、語られる。」の記載がある。

(15)2001年1月6日付け朝日新聞西部夕刊2頁に「干涸らびた亀岩 豊じょうの海は記憶の底に」の見出しのもと、「牧港(まきみなと)集落(現沖縄県浦添市)の港から琉球王朝の開祖・舜天(しゅんてん)の父親、源為朝が鎌倉に出帆したという伝説がある。見送った舜天と為朝の妻(地方豪族大里按司の妹)は一日も早い為朝の帰還を神に祈った。この時の「マツミナト(待港)」が牧港に転化したという。」の記載がある。

(16)2001年2月19日付け琉球新報夕刊3頁に「ウォーカー博士が見た沖縄の原風景/1/崇元寺石門と石垣/(1951年9月那覇市安里)」の見出しのもと、「崇元寺は歴代の琉球王朝の宗廟で、中心となる正廟には、舜天以来尚泰王までの神位(いはい)が祀(まつ)られていた。」の記載がある。

(17)2001年11月28日付け南日本新聞朝刊に「連載[はやと海道]第7部−陶磁器と覇権/7・平家伝説=大和と南島交流の痕跡」の見出しのもと、「琉球王朝の始祖、舜天王は源為朝の子という説話がある。為朝は阿多忠景の婿で、大宰府を拠点に九州を荒らし回った人物。大宰府は金峰町高橋に所領を持ち、為朝の力の背景には南島のイオウ交易があったともいわれる。この伝説は近世に造作されたものといわれるが、よくできている。」の記載がある。

(18)2002年8月27日付け琉球新報朝刊1頁に「英祖王権の存在を実証/浦添ようどれ調査中間報告/出土品に高い工芸技術/市教委が墓室初公開」の見出しのもと、「このことから従来伝承や推定の域を出なかった英祖王統代(十三世紀後半−十四世紀前半)に、工芸技術を王陵に使った王権が存在したことが裏付けられた。しかし英祖王から三代前の舜天王統代に中山王権があったとされる伝承については『まだ実証できない』としている。」の記載がある。

(19)2002年12月12日付け琉球新報朝刊24頁に「添は首里以前の都/安里進氏/「ようどれ」発掘で講演/石川」の見出しのもと、「浦添市教育委員会文化課課長の安里進さん・・・『発掘した骨をDNA鑑定する予定で、もしかしたら舜天王など伝説上の王統が実際にいたという証しになるのではないか』とロマンたっぷりに語り、」の記載がある。

(20)2003年5月16日読売新聞西部夕刊8頁に「琉球史、進む再検討 伝説の王「英祖」存在 「浦添ようどれ」遺骨DNA鑑定も」の見出しのもと、「近世に編纂(へんさん)された正史『中山世鑑』『球陽』などによると、琉球王国(中山)は、〈1〉舜天(一一八七年)〈2〉英祖(一二六〇年)〈3〉察度(さっと)(一三五〇年)〈4〉第一尚氏(一四〇六年)〈5〉第二尚氏(一四七〇年)と五つの王統が交代するが、これまでの歴史学、考古学の知見では、舜天及び英祖王統の存在は疑問視されていた。」の記載がある。

(21)2003年10月25日付け読売新聞西部夕刊11頁に「琉球王族は『外来系』 初期王陵の人骨分析で判明/沖縄・浦添市教委」の見出しのもと、「琉球には初代の王・舜天(一一八七年即位)を源為朝(一一三九−一一七〇)の子とする伝説があり、近世以降は、ともに源氏を称した幕府と島津藩による支配を正当化するために使われた。」の記載がある。

(22)2003年11月1日付け熊本日日新聞朝刊に「落人伝説を歴史考察 富合町で熊本地名シンポジウム 九州と南島のダイナミックな交流」の見出しのもと、「沖縄には、為朝ゆかりの地名が残り、為朝が沖縄でもうけた舜天は、琉球王朝第一代の王になったという伝説もある。」の記載がある。

(23)2004年9月15日付け産経新聞大阪夕刊12頁に「【ふるさと歳時記】台風と英雄伝説」の見出しのもと、「清和源氏の中でも豪傑で知られた源為朝・・・その子供が神話時代(十一世紀ごろまで)に続いて実在の可能性がある初代の支配者、舜天王だとある。」の記載がある。

(24)2005年3月4日付け産経新聞大阪夕刊6頁に「【歴史ドラマランド】源為朝の英雄伝説 琉球王は言辞の子孫」の見出しのもと、「伝説では、為朝はやがて南部に移り、地元豪族、大里按司(あじ)の妹と結ばれ、二人の間に男の子が生まれる。琉球王府編纂の正史「中山(ちゅうざん)世鑑(せいかん)」にも記されているエピソードで、史実上の琉球王国初代の王、舜天(一一六六−一二三七)の誕生である。」の記載がある。(25)2005年6月18日付け読売新聞西部朝刊29頁に「[小倉藩]一夜1両」の見出しのもと、「これにより舜天王(中山王)が誕生、という物語だ。」の記載がある。

(26)2006年8月17日付け琉球新報夕刊3頁に「新琉球王統史」が完結/“与並史観”に反響続々/舜天から尚泰まで/新たな視点を提示」の見出しのもと、「新たな視点による琉球全史シリーズとして、二〇〇五年十月から月二巻のペースで発行されてきた琉球通史「新琉球王統史」全二十巻(与並岳夫著、新星出版)がこのほど完結した。歴史書というと構えてしまうが、中、高校生でも読みやすいように平易な文体で丁寧にルビが振られ、巻末年表も理解に役立ち、琉球史の学習教材として活用できるのが特徴。・・・同シリーズは琉球王統の始祖とされる舜天から最後の王、尚泰までの約八百年間にわたる全王統をふかん。新しい視点の一つが、いわゆる源為朝が琉球に来た、舜天は為朝の子という「為朝伝説」の正体に迫るなどダイナミックな“与並史観”を展開。」の記載がある。

2 証拠調べ通知に対する被請求人の意見

(1)上記証拠調べ通知書における(1)ないし(26)の証拠及び甲第3号証ないし甲第10号証が存在していたとしても、なお、引用商標は商標法第4条第1項第11号にいう「他人の登録商標又はこれに類似する商標」には該当しないと考える。

(2)先ず、甲第3号証ないし甲第7号証については、被請求人が既に答弁書において述べたとおりである。

(3)また、被請求人が既に答弁書で述べたとおり、『ある商標からどのような観念が生じるかは、その指定商品の需要者・取引者らが、商標の構成に基づきどのように観念すると認められるかによって決せられるものであって、必ずしも商標の文字等について著書や辞典類に示されたとおりの語義が商標の観念となるものではない。』と考えており、こうした考え方は、前記昭和37年(行ナ)第190号判決にも明示されている。

そして、甲第8号証、甲第9号証及び甲第10号証については、まさにこうした類の典型事例であり、広辞苑や大辞典等に記載がなされたからといって、そのことで直ちに、取引者、需要者にその内容が知られているとは認めることができないと考えるのが自然であると考える。

(4)続いて、(1)ないし(26)の証拠についてであるが、(1)、(2)、(4)ないし(12)、(14)、(16)、(18)、(19)、(26)の証拠については、沖縄地域で発行されている琉球新報に記載されてものであり、少なくとも沖縄地域以外の者の目には触れ難いものであり、こうした証拠のみをもって、沖縄地域以外の取引者、需要者に知られている事実が認められることはないと考えるのが自然であると考える。

次に、(3)、(13)、(15)、(17)、(20)ないし(25)の証拠について考えると、(3)の証拠が最も古く1998年11月であり、(25)の証拠が最も新しく2005年6月である。そして、この6年7か月(約2400日)という期間には、1つの新聞社であっても、朝刊のみで約 2 4 0 0部が発行されることとなり、社団法人日本ABC協会に参加している新聞(但し、沖縄地域で発行されている新聞を除く。)は、77種類にも及び、77社が2400日に発行する新聞は、朝刊のみでも18万部を越える発行数ということとなり、夕刊の部数を加えると、その発行部数はそれ以上である。

こうした発行部数の中において、単に10回程度の記載がなされたことから直ちに取引者、需要者にその内容が知られていると認めることができないと考えるのが自然である。

(5)したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第11号にいう「他人の登録商標又はこれに類似する商標」には該当しない。

第6 当審の判断

1 本件商標は、前記第1のとおり、「舜天」の文字とその読みを特定したものと認められる「シュンテン」の文字を併記したものであり、引用商標は、「舜天王」の文字を書してなるものである。

請求人は、「舜天」と「舜天王」とは、生ずる観念が同一であると主張し、被請求人は、観念において同一である事実はないと主張しているので、まず、観念について検討する。

広辞苑(株式会社岩波書店発行 甲第8号証の1ないし3)の「舜天」の項には、「『中山世鑑』による初代琉球の王。名は尊敦。源為朝の落胤といわれ、十五歳で浦添按司となり、一一八七年即位という。」と記載され、国語大辞典言泉(株式会社小学館発行 甲第9号証の1ないし3)にも同様の記載があり、沖縄大百科事典(沖縄タイムス社発行 甲第10号証の1ないし3)には、「舜天」の項に人物についての解説及び「舜天王統」の解説が記載されている。「舜天」の文字が、上記王の名である以外の意味合いを有しているというような事実は認められない。

また、甲第3号証の1ないし3は、「琉球歴史物語」と題する、沖縄の歴史を物語風にし、話し言葉で優しく書かれているやや子供向けの書籍である。「舜天」が沖縄を統一し、琉球第1代の王として「舜天王」となったことや「舜天」が源為朝の子であるという出自伝説など「舜天」について大きく取り上げられており、「舜天」について、「舜天」及び「舜天王」の記載がある。

甲第4号証の1ないし3は、「沖縄の歴史」と題する書籍であるが、「舜天」が王位に就き琉球における王統が樹立されたとして大きく取り上げられ、「舜天」及びその出自や舜天王統について記載されている。

甲第5号証の1ないし3は、「琉球王国の歴史」と題する書籍であり、源為朝の子、「舜天」が沖縄を統一した伝説を大きく取り上げている。

甲第6号証の1ないし4は、「守礼之邦 沖縄 上」と題する琉球にまつわる歴史を取り上げエッセー風に著した書籍であるが、「為朝渡来伝説と舜天王」として舜天の出自及び「舜天」が国王、「舜天王」となったことについて記載されている。

甲第7号証の1ないし3は、「全国歴史散歩シリーズ47 沖縄県の歴史散歩」と題する沖縄の遺跡の解説や現況等について記載された書籍であり、これは、遺跡やその周辺の地域について解説した著書であるが、浦添城跡周辺の項に浦添城を居城とした歴代の琉球王の説明に、英祖王、察度王、と共に「舜天王」の名が記載されている。

また、証拠調べ通知において示した上記「第5」の「1」中の証拠(1)ないし(26)は、舜天に関する沖縄県地域を中心とする新聞での報道であるが、その新聞報道には、「舜天」又は「舜天王」と記載されている。

これらを総合してみると、「舜天」は、1187年に即位した、琉球王朝の初代の王とされ、かつ、源為朝の落胤であるとする出自伝説もある沖縄の歴史上重要な人物であって、沖縄県(琉球)の歴史に関する書籍や新聞報道において、取り上げられることが多くあり、「舜天」を「舜天」と記載したり「舜天王」と記載したりしていることが認められる。

そうすると、沖縄県地方においては、「舜天」は、「舜天王」とも呼ばれる1187年に即位した琉球王の名として、本件商標の出願日ばかりではなく登録査定時においても広く知られていたものというべきである。

ところで、沖縄県地方には、「泡盛」と呼ばれる「多くタイ産の砕米を原料とし、黒麹菌で麹にし、これを水と酵母とを加え発酵させ蒸留した特産の焼酎」(広辞苑第6版参照)があるところ、泡盛の生産者の多くは、沖縄地方にあり、沖縄県内における消費が相当量に上ることから、その需要者の中心は、沖縄県内の消費者である。

そして、本件商標の指定商品及び引用商標の指定商品は、ともに「泡盛」を含むものである。

そうとすると、泡盛の取引者、需要者においては、本件商標及び引用商標は、ともに「舜天」の観念を認識するというべきである。

次に、外観及び称呼についてみてみると、本件商標は、「舜天」の文字を書してなり、「シュンテン」の称呼を生ずるものと認められ、引用商標は、「舜天王」の文字を書してなり、「シュンテンオウ」の称呼を生ずるものと認められる。

そうすると、本件商標と引用商標は、「舜天」の文字を共通にし、末尾の「王」の文字の有無の差異を有し、本件商標から生ずる「シュンテン」の称呼と引用商標から生ずる「シュンテンオウ」の称呼とは、「シュンテン」の音を共通にし、末尾において「オウ」の音の有無の差異を有するものであるが、前述のとおり、沖縄県地方においては、「舜天」が初代琉球の王として知られ、「王」の文字は、「王」であることを呼称するものとして広く使用される文字であることからすると、引用商標は、「舜天」の文字部分及び「シュンテン」の音の部分が強く印象されるというべきであるから、本願商標及び引用商標が、その指定商品中の「泡盛」に使用された場合には、外観及び称呼において、相紛れるおそれがあるといえる。

そうとすれば、本件商標と引用商標は、これをその指定商品中の「泡盛」について使用するときは、「舜天」の観念を共通にし、かつ、外観及び称呼においても相紛れるおそれがある類似の商標と認められる。

また、本件商標の指定商品と引用商標の指定商品は、前記第1及び第2のとおり、共に「日本酒、洋酒、果実酒、中国酒、薬味酒」を指定するものであるが、本件商標は、その指定商品中、泡盛以外の商品については、その取引者、需要者に「舜天」の上記意味合いが広く知られているとはいえないから、本願商標及び引用商標から特段の観念を生ずるものではなく、本件商標と引用商標は、外観、称呼、観念を総合的に見ても、相紛れるおそれはないというべきである。

2 被請求人の主張について

(1)被請求人は、「商標から生じる観念は、一般人が一見して直ちに一定の意義を理解させるものでなくてはならず、しばらく考えなければ関係が分からないような語や、歴史書を調べて初めて同一の意義であることが分かるような語は、一見して直ちに対比される商標と同一又は類似の意味を有するものであることが理解できるとは言えないから、観念が同一であるとは言えない。なお、歴史書において同一の意味を有するものであることが明らかな場合であっても、その商品の取引者、需要者がその意味を直感することがない場合には同様である。」と主張する。

しかし、前述のとおり、沖縄県地方においては、「舜天」は、初代琉球の王であって、「舜天王」ともいわれていることが広く知られているというべきであるから、沖縄県地方で生産され、かつ、需要者が多い、泡盛の取引者、需要者においては、本件商標と引用商標は、ともに「舜天」の観念を生ずるというべきである。

(2)被請求人は、甲第3号証ないし甲第7号証は、甲第5号証を除いて、本件商標の登録査定時である平成18年から四半世紀以上も前に発行された印刷物であるから、これらの印刷物で記載されたという事実のみで、平成18年においてもなお、取引者、需要者にその事実が知られているということは経験則上考えられない旨主張する。

しかし、甲第3号証ないし甲第7号証は、沖縄の歴史などについての書籍であるが、このような書籍は、流行に左右されるものではないから、その発行が本件商標の登録査定時よりも四半世紀以上も前であったとしても直ちにその記載されている内容が知られていないということはできない。加えて、一般に各県の歴史に関するような各種書籍が常時発行されているところ、「舜天」は、琉球最初の王といわれ、琉球の歴史の中でも重要な人物といい得るところであり、かつ、証拠調べ通知により通知した証拠にあるように、その名が、最近においても新聞紙上に登場していること、また、事実、甲第5号証の書籍は、1999年に発行されていることからしても、「舜天」についての記載がある書籍が、請求人提出の書籍にとどまるものではないことは十分に推認できるから、この被請求人の主張は、採用できない。

3 結び

以上のとおり、本件商標は、その指定商品中、「泡盛」については、商標法第4条第1項第11号に違反して登録されたものといわなければならないから、同法第46条第1項の規定により、その登録を無効にすべきものである。

しかしながら、本件商標の指定商品中、「泡盛」以外の商品については、

本件商標と引用商標は類似の商標とはいえないから、本件商標は、商標法第4条第1項第11号に違反して登録されたものでなく、その登録を無効とすることはできない。

よって、結論のとおり審決する。

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